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月夜の晩だけではない。気を付けて帰られよ。

IZAのブログでは記事引用や写真の転載などで飾っていた。文章を補う意味では写真が効果がある。IZAブログが閉鎖になる間際、ブログの写真や映像にトラブルが出始めていた。おそらく著作権の関係ではないかと考えていた。事実、最近引っ越し先のブログのFC2もそうだが、livedoor,so-netのブログの写真抜けが続々と出てきた。修復用の写真は保管してあるが、自分で撮影した写真以外のコピペ写真の掲載は違法となる。なので最近は、文章のみの登録で終わっている。だからつまらないのだ。(もともと文才などない)

最近は<コメント>という言葉をやめて<落書き>と改めている。

ブログは単なる個人的な意見を書いている。意見に同調されるコメントは励みになってありがたい。反対のコメントはまだいただいたことはないと記憶する。まあ、反対のコメントをいただいても礼節があればそれはそれなりに対応するつもりだ。

ところで最近、酒癖の悪い30代後半の人間と二度ほど飲むことになった。実に無礼な人間で、言葉遣いに品はなく礼節に欠け、本当に日本人かと疑うような輩である。アルコールが入ると自己中心に話をはじめカラオケでないのに唄いはじめ、スマホをいじっては先輩後輩に電話を掛けまくる。元来が体育会系らしく筋骨隆々、冗談なのだろうが、周りの人間を叩き始める。生まれた世が昔なら、豪傑とでも評されただろうが、今の世では単なる酔っ払いの鼻つまみ者でしかない。
説教しても本人は酩酊していて馬耳東風。そのうち裏の路地でお仕置きをしなければならない日が来るかもしれない。

中国、韓国という国家が礼儀知らずでお仕置きが必要なのは改めて云う必要もないが、時代を生まれ誤った無礼な日本人のお仕置きが先かというのは非常に由々しき問題である。この酔っ払い豪傑は黒田節の逸話「大杯を飲み干せば褒美をとらす」という大言壮語から「日本号という槍」を手放す羽目に陥った福島正則の生まれ変わりではないかと怪しんでいる。

しかし、有名な槍も持たない単なる酔っ払いならば「月夜の晩だけではない。気を付けて帰られよ」と助言をするしかなかろう。

中国人、韓国人であっても礼節を重んじる人間は信用に値する。逆に日本人といえども礼節を軽んじる者は信用がおけぬ。それが真理に違いない。日本国内では民主主義という言葉が跋扈して正義という刀を振り回しているが、どうも胡散臭い。

生きて行くうえで大事なことは、礼節の中から真の信用を見出すことだけなのかもしれない。後は斬って捨てる。

どうも世界各国の国家感や各宗教の思想潜流に似ているように思えるのだが。
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日本の文化

最近の日本は閉塞感が漂っている。もはや昭和後半生まれと平成生まれが現役世代。明治・大正生まれはもうお目にかかることは難しい。世が「平成」になって「平静」になっているようだ。人々の「息づかい」が聞こえてこない。

思えば、身の回りには、茶道、生け花、謡、筝曲、落語、歌舞伎など様々な文化が存在していたが、今は鳴りを潜めている。明治、大正に開花した文化もたくさんあったが、その創始者たちは他界してしまっている。後継者たちも芸を受けついでいるようだが、パッとしない。なぜだろう。

昭和50年代後半から60年代初めカルチャーブームがあった。戦争のために青春がなかった世代、趣味を持てなかった世代を対象に全国各地にカルチャーセンターができ、和洋の文化に接した者の数は多い。指導者は明治、大正、昭和前半生まれであり、カリスマ的力があったように記憶する。しかし、カルチャーブームはそもそもお手軽が所以、広く浅く文化を広めたに過ぎない。このカルチャーブームにより日本の文化は薄っぺらなものになってしまった。

日本の文化で共通するのは「呼吸法」である。柔道、剣道などに始まる武道はもちろん、そな他もろもろの日本文化が「呼吸法」による静と動を基本にしているのである。日本経済がアベノミクスで一時は活気を取り戻したかに見えたがまた低迷へ向かおうとしている。それはおそらく日本人が学んできた「呼吸法」の文化を忘れてきているからなのかもしれない。

多くの日本人の呼吸は乱れ「間が悪く」なっている。その要因は「利己」である。自分本位の呼吸ゆえ周りと同調できない。「間が抜ける」いわゆる「間抜け」が多くなったのだ。今、日本人に求められているのは古より伝わる「呼吸法」ではないかと怪しんでいる。

「間抜け」が増えている

 テレビを見る機会も少なくなっていたが、昨日テレビのスイッチを入れたら世界フィギュア選手権の映像が流れていた。男子フィギュアに羽生君が出るというので最後まで見ていたが、番組の途中気になることがあった。
 音楽に合わせて競技者が演技をしているときに、手拍子をする観客がいる。応援のつもりだろうが音楽とズレタ手拍子。拍子抜けの手拍子。こんな手拍子は演技者にとって邪魔以外の何物でもないはずだ。クラッシックコンサートで静寂へ向けた演奏がされようとするときに間がずれた手拍子をしているようなものだ。こういう輩を「間抜け」というのだろう。
 日本は経済発展し、貧富の差がない住みやすい国になった。一人ひとりの知性と教養も上がったように思われる。日本は様々な面で発展してきているように見えるが、一方で日本人が大事にしてきた精神が退化し始めているのではないかと怪しんでいる。
 IT産業の発展で情報をいつでもどこでも手に入れることができるようになった。しかし、それはハード面の発展であって、そのIT技術を利用する日本人は愚かになっている。それが証拠に地下鉄の車内では座席に座ってスマホをいじっている人間がどれだけいるのか。混雑する車内で立ってまで操作している愚かなものがいる。自分の世界に閉じこもっている人間が増殖しているようだ。
 「人様に迷惑をかけない」こともできずに「世のため人のために」などできるわけがない。日本の発展など期待できないのではないかと怪しんでいる。 

最近の流行で福島復興がいけるかも

先日、産経ニュース(http://sankei.jp.msn.com/science/news/131127/scn13112707560000-n1.htm)で「籾殻エンジン始動 カンボジアの農村で発電」という記事を見つけた。

気になって調べると、昔発明されたスターリングエンジンというものだが、最近脚光を浴びているものだった。原理はいたって簡単。空気の熱膨張を利用して運動エネルギーに変換する装置だった。

今、福島原発では事故のあった原発を冷却して放射性物質が溶け込んだ水を浄化することに苦心している。汚染物質をどうにかすることだけを考えている。しかし、東京電力は事故対応も満足にできず社員が意気消沈の状態である。東京電力は発想を変え安定した電力供給を考えてはどうなのか。安定した電力を供給しながら水の浄化を考えてもいいはずだ。

原発の再稼働ができないにしろ福島原発の熱源を利用してスターリングエンジンで発電をし電力供給を復旧することは可能なはずだ。そして収益を上げ、原子力事故解決のための経費を確保する努力をされてはいかがか。





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