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こませ経済の潜流

仙台市の繁華街東一番町は南北に走る道路で両脇に商店街が軒を連ねる。昔は自動車の往来があったところだ。今では自動車の通行は東西を結ぶ道路だけになっていて南北の道路は歩行者専用になった。

先日東一番町を歩いていて大きな違和感を覚えた。

喫茶店が減り、ラーメン屋もなくなり、古びた食堂もなくなっていた。映画館が消えてから大分経つ。各種雑貨の専門店も姿を消した。南のはずれの古本屋街もすでになくなっている。目につくのは、ドラッグストア、カラオケ店と同業者が軒を連ねる。一歩脇道に入れば、ワンショットの洋風の立ち飲み屋が目立つ。これは大町や新伝馬町のアーケード街も同じだ。いったい仙台の街はどうなったのだろうか。電気屋、文房具屋、紙専門店、カバン店、カメラ専門店、楽器店、全部どこかに消えてしまった。

専門性や個性がなくなり、みんな同じ方向を向いて商売をしている。これでは儲かるまい。夕方にもなれば、カラオケ店の兄妹の呼び込みで東一番町と広瀬通りの交差点は混雑する。呼び込みなど40年前のピンクキャバレーの時代で終わったと思っていたが、新種が登場したようだ。

昔、東一番町へ行けば趣味の世界が広がり、人々の心を満足させる様々な空間がたくさんあった。人々の熱気が街の活力を押し上げていた。だからこそ七夕祭りも面白かった。先月の七夕祭りは活力のない腑抜けた祭りであった。祭りをやれば街が活気ずくと思うのは商工会の考えなのだろうか。街に活気があってこそ祭りが成立するのではないのか。もう一度昔のような活気のある街にするには街の軒先から大手のドラッグストアやチェーン店など同じ商品を陳列する店の数を制限することから始めるのも一つの手法かもしれない。

商売とは客が「飽きない」ようにするものではないのか。だから「商い」なのだ。店側は儲かれば「飽きない」だろうが、「こませ」のようなばら撒きで薄利多売ばかりしていれば、いずれ客は飽きて離れる。客を店にとどめるには店の個性、店員の個性が必要なのだ。マニュアル対応をしている店が増えれば人は離れる。仙台の商店街はもっと荒ぶに違いない。イワシも見向きもしない「こませ」で鯛を釣ろうとするところに愚かしさを感じる。アベノミクスが経済を押し上げないのではない。魚を知らずして大漁を決めている者の浅はかさが仙台経済、東北経済、日本経済の潜流であることを知るべきだ。
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